ぶりぶりざえもん登場!
先代の声優の方が亡くなられ、声込みで登場するのは、16年ぶりみたいですね。
新しい声優の方は、神谷浩史さんです。
久しぶりに見て、「こんなキャラだったんだなあ」と思いました。
内容も面白かったですし、来週も登場するみたいですね!
ぶりぶりざえもん登場!
先代の声優の方が亡くなられ、声込みで登場するのは、16年ぶりみたいですね。
新しい声優の方は、神谷浩史さんです。
久しぶりに見て、「こんなキャラだったんだなあ」と思いました。
内容も面白かったですし、来週も登場するみたいですね!
さて、part3では「本当に伝えたいこと」について書いていきたいと思います。
場面緘黙は、相当辛いものです。皆さんが思ってる以上に、場面緘黙の人は悩んでいると思います。
私も、凄くそんな自分が凄く嫌です。
「ありがとう」や「ごめん」すら言えない自分が情けなくも思いました。
本当に伝えたいこと。
それは、クラスや会社などで場面緘黙らしき人が居たら、
「いじめや差別するのではなく、あたたかく見守ってあげてください!」
「話さないことを責めないであげてください!」
場面緘黙は故意に話さないのではなく、「話せない」状態なんです。
無理して話すのが辛かったり、話さないほうが楽でいられるから話していないんです。
だから、「仲良くなりたい」という気持ちを大体の人が持っていると思います。
でも、自分から話しかけるのはさすがにハードルが高いです。
なので、「皆さんの方から、何か話しかけてあげてください!」、「居場所を作ってあげてください!」
うまく話せなくて言葉が詰まってしまう人や、緘黙が続く人もいることと思いますが、それでも、「悪気はないのであたたかく見守ってあげてください!」
緘黙が続いている人の中には、答えに困っていたり、質問の答えを一生懸命考えている人も多いと思いますから。
声が小さくて聞き取りにくいかもしれませんが、「大目にみてあげてください!」
キツくない言い方で「もう少し大きい声で言ってくれるかな?」とか「もう一回行ってみて。」とか言うと向こうも悪い気はしません。
耳を相手の口元に近づけるという方法もあります。
それから、「ありがとう」や「ごめん」が言われなくても「大目に見てあげてください!」
言えないだけで、そういう気持ちはあると思うし、場面緘黙の人は心では凄く気を使っている人が多いと思います。
つまり、心優しい人が多いということです。
私は、ありがとうが言えないときは「軽く会釈」してました。
場面緘黙の人の中には、あいさつやありがとうを伝えるとき、会釈をする人も居ると思います。
それから最後に一つ、
「このブログを読んだら、場面緘黙について(こういう症状があるということやどういう症状かなど)誰かに話してください!」
できるだけたくさんの人に。
家族や友達、誰でも良いです。
自分のブログに書いてくれても良いし、SNS等にこのブログを拡散してくれても結構です。
強制はしませんが、できるだけご協力お願いします。
それくらいこの「場面緘黙症」の知名度を上げたいんです。
たくさんの人が知ってくれるようになれば、いじめや誤解なども減るかもしれません。
例えば、最初から場面緘黙だと周りの人がわかっていれば、いじめをしないかもしれません。
私の場合は、多分そうです。「喋らない理由がわからない、知りたい」からいじめられたんだと思います。
クラスに入らずに登校になってから、反省してくれる人も何人か居たみたいですし、少なくともその人たちは、根っから悪い人たちではないはずですし、そういう(「喋らない理由がわからない、知りたい」)思いがあったからいじめたんだと思います。
勿論、場面緘黙とわかっててもいじめるクソみたいな奴も残念ながら居ると思いますが、知名度が上がれば、周りの人がその人のことを場面緘黙だとわかって、ちゃんと理解してくれるかもしれません。
ちなみに、学校生活で周りからのいじめやからかい、誤解を受けない為の一番ベストだと思う方法は、「先生が、入学式などの学校生活初日の日に、先生からクラスの人へ向けて、説明すること」だと思います。
説明されてる当人は、その時間、居るのが気まずかったら、一時的に抜けて保健室などに居たり、休んだりすれば良いと思います。
少し話が逸れた個所もありましたが、これが私の伝えたかったことです。カッコに書いたことは特に重要なことです。
「ください!」と書いた部分は、もし自分の身の回りに場面緘黙らしき人が居たら、実践してみてください。
場面緘黙はとにかく、周りの人の支援が大切なんだと思います。
私も、学校で支援をしてほしかったのでそう感じました。
私は、今、障がい者就労移行支援訓練を受けています。
実は、軽い知的障害も併せ持っています。
場面緘黙の人の中には、そういった軽い知的障害や脳の障害も併せ持っている人も少なくないそうです。
そこの施設では楽しくやっていけています。
将来のことを思うといろいろと、とても不安でいっぱいです。
友達ができるのか、結婚できるのかなど。
友達は少なからず居ますが、新しい友達も欲しいし、もっと友達と楽しく話せたらなあと思います。
ちなみに友達の中には、同じ場面緘黙の子も居ます。
場面緘黙は治したいと思ってはいるんですが、なかなかそう簡単にはいきません・・・
どうやったら治るんでしょう?
この先どうしたらいいんでしょう?
専門家の方、見ていたら誰か教えてください。
でも、治るかどうかは結局は自分次第なんですよね。。。
それはわかってはいるんですが、いざ行動に移そうとすると緊張して口元が固まってしまう・・・
もう一生治らないのかと不安になることもある・・・
まあ、こんなに悩みはありますが、少しずつ治していけばれなと思います。
「前向きに、ポジティブに」をモットーに生きていきます。
最後に、
場面緘黙の人も、やっぱり自分が場面緘黙だからといって、相手に甘えすぎてはいけません。
「ありがとう」や「ごめん」、「おはよう」などのあいさつ(会釈も含め)や声のボリュームをもう少し上げる等、自分に出来る努力をしていきましょう!
それは少しずつでもか構いませんから。
また、文章がわかりにくかったらすみません。
私のブログで、場面緘黙症という症状を多くの人が知り、理解してくれたら嬉しいです。
まとめ方が下手ですみませんでした。
ここまでpart1から3までの長い記事を読んでいただいてありがとうございました。
さて、part2では、私の学生時代について書きたい思います。
part1で書いたとおり、保育所時代は、仲のいい子や幼馴染とは話すことができ、感情も出せていました。
小学校に上がると、保育所時代に先生に恐怖心を抱いていたので、初めて先生に話しかける前は物凄い緊張とドキドキでした。
私自身も、小学校で先生に話しかけられないのは、やっぱり駄目だと感じていました。
結局は、入学式の次の日に話しかけられることができ、それ以降は先生なら誰でも話しかけられることができるようになりました。
2年生に学校案内をしてもらうとき、私の班の2年生の人になかなか自己紹介ができず、困らせてしまうこともありました。結局は、自己紹介できましたが、言えるまでに凄く時間を取ってしまいました。
小学校の低学年くらいの頃は、クラスメイトに悪気の無い気持ちで「何で喋らないの?」と聞かれることもありました。ちなみにそんなに大きくない学校なので、クラスメイトは保育所からずっと一緒です。クラスも1クラスだけで、全員で20人程でした。
小学校の高学年くらいからだんだん症状が重くなっていき、仲の良かった子とも話すことができなくなりました。
それくらいになると、だんだん私へのからかいも始まっていきました・・・
これには、悪気がありました。
やっぱり、場面緘黙の子はいじめの対象になりやすいんです・・・
大きな学校ではないので、私が喋らないのは1つ2つ上や下の学年の人でも知ってる人も居ましたし、上の人たちからは何か言われることもたまにありました。
これにはそんなに傷つくようなことはありませんでしたが。
主に、言葉で傷つけられることが多かったです。
からかっていた生徒たちや弟の話を聞く限り、私の家での様子を知りたがり、弟に聞いていたことも少なくなかったです。
本当に傷つきましたし、私からするとプライバシーの侵害のように感じました。
弟も正直に答えるので、家ではよく話したり、弟と喧嘩もしていたので、そういったことが弟の口からその生徒たちへ伝えられました。
「家ではよく喋るんだって?」、「家ではうるさいらしいよ。」など言われたり聞いたりしてもう嫌でした。
ちなみに今は、その弟とも声をかけることはできますが、普通に話せなくなりました。
場面緘黙の人の中には、一部の家族とも話せなくなる人も少なくないです。
いとこや親戚とも、話すときは少しぎこちないです。
凄く話したい気持ちはあるんですが・・・
先生からも傷つくことを言われたことがあります。
担任の先生ではないんですが、グループ活動の話しあいの際、ずっと喋れなくて意見を出せずにいたら、「いつもこうなの?」って同じグループの人たちに私のことを聞いてきたことです。
傷つきました・・・
先生なら場面緘黙のことを知ってるはずですが、たとえ、私のことを場面緘黙だと気づけなくても、口下手ともとれるんじゃないかな・・・?
生徒の心を傷つけて、教師失格は言いすぎかもしれませんが、ちょっと先生としてどうかと思った発言でした。
中学校に上がると、他の小学校からも入ってきて1クラス30人程になりました。
1学期はまだ大丈夫でしたが、2学期になるとまたからかいや軽いいじめが始まりました・・・
2年生になると、よりエスカレートしていきました・・・
他のクラスの人も居ます。場面緘黙の人は「嫌だ!」と言ったり、抵抗する仕草もできないんです・・・
「何で?」と思う人が多いと思いますが、うまく説明することはできませんが、喋ったと思われたり、抵抗する姿を見られたくないんです。
2年生の2学期からはあることでもう限界を感じ、保健室登校のような感じになり、クラスでの生活はなくなりました。
その登校になって以降、少し嬉しかったことがありました。
それは、いじめていた一部の生徒や、仲よくしていた子が「責任を感じている」と担任の先生から伝えられました。
ちゃんとわかってくれる分、そこまで今の時代のいじめと違って陰湿ではなかったのかなと感じました。
それと、3年生になると、それまでは先生が給食を運んで来てくれていましたが、クラスの何人かの生徒が「運びたい!」と言ってきてくれたことです。
最初の頃は緊張物凄く緊張しました。
ここでも場面緘黙の症状が出て、「どういう反応をしたら良いのか・・・」、「ここに居る姿を見られたくない。」などいろいろ緊張や不安を感じました。
ですが、少しずつ緊張も取れ、だんだん慣れてきました。
何カ月か経つと、担任の先生から、「クラスの女生徒全員に運ばせたいんだけど?」と提案してきました。
その人たちは自ら言ってきたわけではないので、最初は乗り気ではありませんでしたが、結局は賛成しました。
やっぱり緊張して、部活が同じだった人たちは気まずかったです。(普通の登校じゃなくなってからは部活もやめているので)
でも、次第に慣れてきました。
学校生活では、先生やクラスメイトから「声が小さい」と言われたり、聞き返されるも多かったです。
これも場面緘黙の症状です。
「家では大きい声で喋ってるんだろ?」とも言われました。
学校へ来ると、緊張で声のボリュームが押さえられるんです。
高校の面接の練習の時にも、声のこと以外でも相手は悪気なく言ってくれてるんですが、やっぱり、こういう理由があるのに何も知らずにいろいろ言われて、傷ついたというよりは、正直悔しかったです。
高校になってからは、中学校時代不登校や保健室登校だった子が多い学校に通ったのでいじめはありませんでした。
ちなみに、そういう子たちが多いからといって大人しい子ばかりではありませんでした。
主に推薦制なので、普通の高校に行けそうにない子たちが入ってくることも多いので。
そういった学校だったので、特に女生徒は心優しい子が多かったです。
いじめられることはありませんでしたが、ここでも場面緘黙の症状は出ました。
part2はこんな感じですかね。
また、わかりにくい文章でしたらすみません。
part3では、本題(本当に伝えたかったこと)に入っていきたいと思います。